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東京高等裁判所 昭和42年(う)276号 判決

被告人 居村方治

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人中込尚作成の控訴趣意書、検察官赤沢正司提出の控訴趣意書各記載のとおりであり弁護人の控訴趣意に対する答弁は同検察官作成の答弁書検察官の控訴趣意に対する答弁は同弁護人作成の答弁書各記載のとおりであるから、これを引用し、これに対し当裁判所は次のとおり判断する。

弁護人の控訴趣意について

所論は、原判決には重大な事実誤認および理由にくいちがいがあつて破棄せらるべきものであると主張する。

第一点原審採用の証拠物が相違するとの主張について

所論は、原判決は被告人が原判示第一添付別表(一)記載の英文書七種類合計一九四冊(以下「原判示第一の英文書」という。)を所持したと認定しているが、右認定の資料として掲げられた(証拠の標目)7、記載の英文書七冊(東京高裁昭和四二年押第八八号の6ないし12-以下「証拠の英文書」という。)は、被告人が取扱つた物ではない。たとえ「原判示第一の英文書」と「証拠の英文書」の題名がたまたま同一であつてもその内容が必ずしも一致しているとはいえないのであり、畢竟原判決は内容の同一性についての判断を逸脱し異なる証拠によつて事実を認定したものであると主張するので検討するに、司法警察員作成の昭和三四年五月七日付捜索差押調書謄本、近藤音次郎作成の任意提出書謄本、司法警察員作成の昭和三四年五月二〇日付領置調書謄本によれば、司法警察員により昭和三四年五月七日東京都中央区銀座五の四イエナ精光株式会社においてA Woman Doctor(女医)一冊、The Adventures of a Little Girl (或る少女の冒険)三冊(但し黄表紙のもの)、The Book of Love(愛の書)五一冊、Honey Moon (The Debauched Hospodar )(密月)五一冊、The Secret Stories(秘話)四七冊の捜索差押が行われ、同月二〇日右会社代表者近藤音次郎から司法警察員に対して任意提出のThe Simple Tale of Suzan Aked (スーザン物語)七冊、Market of Human Flesh (人肉の市場)三四冊の領置手続の為されたことが看取される。

そして、原審証人高橋義夫、原審および当審証人醍醐秀輝の各証言、大井サダヨの司法警察員に対する供述調書、領置票謄本、醍醐秀輝作成の任意提出書謄本二通(昭和三四年二月一三日付および同年五月一二日付)、司法警察員作成の領置調書謄本二通(同年二月一三日付および同年五月一二日付)、東京地方検察庁検察官作成の昭和三五年一二月二〇日付引継書謄本、被告人の司法警察員に対する昭和三四年五月一九日付および同月二〇日付、検察官に対する昭和三五年一一月二五日付各供述調書を総合すれば、右領置の英文書すなわち「原判示第一の英文書」は、被告人が高橋義夫から買受けこれをイエナ精光株式会社に委託販売したもので被告人にその所有権があつたものであること(被告人はその後昭和三四年五月二一日付所有権抛棄書謄本二通((記録三〇丁、三三丁))によりこれらの英文書の所有権を抛棄している。)、警視庁防犯部保安課風紀係担当の醍醐証人は、昭和三四年二月中旬ころイエナ精光株式会社において「証拠の英文書」を購入し、これを当時わいせつ文書の取締を担当していた大塚警部に任意提出して領置手続を了し、同警部において右書籍の内容に取締を必要とするわいせつ性があるか否かにつき東京地方検察庁および東京高等検察庁の意見を徴した結果取締を要するとの結論に達し、昭和三四年五月七日近藤次郎を被疑者として前記のとおりイエナ精光株式会社を捜索し「原判示第一の英文書」を差押えて「証拠の英文書」とともに右近藤に対するわいせつ文書販売、同目的所持違反の証拠物として東京地方検察庁に送致し、その後同検察庁から警視庁に対し将来の取締の参考資料として「証拠の英文書」が引継がれ、同庁において保管中本件の証拠として検察官から裁判所に提出されたこと、醍醐証人は「原判示第一の英文書」と「証拠の英文書」について内容の同一性を確認したばかりでなく、被告人に対しこれらの領置した「原判示第一の英文書」はもちろん同証人が買受けた「証拠の英文書」もともに示しながら取調を行つたこと(弁護人は控訴趣意書一、(二)において同証人が裁判官の「そうすると弁護人が尋問しているようなあんたの買つたものと翌年差押えたものとが同一かどうかということは問題にならんわけですね。」との尋問に対し「はあ、全然本が違います。」(記録四〇七丁)と答えているのは不可解であると述べているが、同証人に対する尋問の経過に徴すれば、右答弁の趣旨は「証拠の英文書」と翌年(昭和三五年)差押手続の行われたThe Memoirs of Dolly Morton (ドリー、モルトンの回想録)(以下「原判示第二の英文書」という。)とは異なる英文書である旨証言しているのであつて何らの矛盾もない。)、「原判示第一の英文書」は東京地方検察庁において他の書籍とともに被疑者近藤音次郎外一名に対するわいせつ文書販売、同目的所持被疑事件として取調中のところ、近藤が死亡したことなどの理由により本件起訴前の昭和三六年三月二九日廃棄処分に付せられたことが認められる。

以上のとおりであるから「原判示第一の英文書」と「証拠の英文書」とは題名、内容もともに同一であるというべく、原判決もこの趣旨で(弁護人の主張について)の項において「当裁判所は、本件各書につき、当然のことながら、その原文自体を精読して、充分に検討を加えた(証拠7の各書類は、第一事実を組成する書籍そのものではないが、第一事実の各書とおなじ内容のものであると認める。)」と判示しているのである。論旨は採用することができない。

第二点原判決の判断にくいちがいがあるとの主張について

所論は、本件につき原判決はわいせつ性があるものとして有罪の認定をしているが、元来英語と日本語とは根本的に相違しており、ことに本件英文書の内容が比較的難解であり、英語の能力がある者にとつても読解が容易でなく、少くとも日本人としてはこれを春本同様に読みこなすことは困難であるから、わいせつ性ひいては公然性は否定せらるべきものであると主張する。

よつて按ずるに、刑法第一七五条にいわゆるわいせつの文書とはその内容が徒らに性欲を興奮または刺戟せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反する文書をいうものと解すべきところ、原判決が指摘するように本件英文書(原判示第一、同第二の英文書を含む。)はいずれも性戯、性交に関する場面を主要な内容とするものであつて、これらの場面を性器の形状、動き、行為の身体の動き方など微妙な点に至るまで具体的詳細に表現するという方法で極めて露骨に描写しいずれも単にエロテイツクな書物であるに止まらず、読者の性的興奮に訴え性欲を刺戟または興奮させ、羞恥嫌悪の情を抱かしめ、善良な性的道義観念に反するに足るいわゆる春本であるといわなければならない。

本件英文書が英文で書かれているからといつて直ちにそのわいせつ性ないし公然性が否定せられるべき筋合のものではないのである。

なるほど英文であるため、その読者はおのずから限定されることはもちろんであつて、その範囲は論旨指摘のとおり問題点ではあるが、本件英文書の英文は比較的平明であり、かつ、現代的であつて特に読みにくいというほどのものではないのであるから、我国における英語教育普及の現状からみても必ずしもその公然性が否定せらるべきものではない(この点に関する原審証人大久保康雄の証言は措信しない。)。

さらに、本件のばあいは我国に在住ないし居住する外国人が多数購入している事実が看取されるので、これら外国人を含めて不特定多数者間に本件英文書が公然と販売されること自体我国社会の性的秩序を乱し善良な風俗を退廃、堕落に導くものであるといわなければならない。

次に所論は、原判決にはわいせつの構成要件に該当する具体的個所を明示することなく、抽象的にわいせつ性を認定していると非難するが、原判決は原審検察官指摘のわいせつの個所を含め各書物の内容について性戯、性交に関する状景を具体的詳細に説示しているのであつて原判決に間然するところはない。論旨は排斥を免がれない。

さらに、所論は(一)検察官指摘のThe Memoirs of Dolly Morton の二二九頁七行目より二三六頁二六行目までの部分は押収の書籍「南北戦争」(東京高裁昭和四二年押第八八号の五)の二二七頁以下の部分と比較し決してわいせつ性は認められない、(二)米国においてすでに本件The Memoirs of Dolly Morton と同一題名の書籍が出版され、また本件Market of Human Flesh と同一内容の書籍もWhite Thighsの題名で出版されていると主張する。

よつてまず(一)の点について検討するに、なるほど「南北戦争」の表紙にはカウントジヨージ南悦夫訳南北戦争(ドリーモルトンの想い出全訳)と記載されているので一見本件書籍を翻訳したもののように感ぜられるが、論旨指摘の個所を原文について対照してみると、原文のわいせつ性の部分は右「南北戦争」中に素直に翻訳されておらず、わいせつ性を欠いているものと認められるからこれをもつて本件The Memoirs of Dolly Morton のわいせつ性を否定する資料とすることはできない。

次に(二)の点について検討するに、当審における事実取調の結果によれば弁護人提出の(1) The Memoirs of Dolly Morton (前同押号の二二)と(2) White Thighs二冊(前押号の二四および二六)がいずれも米国において昭和四二年中に出版されていることが看取されるところ、(1) は「証拠の英文書」のうちThe Memoirs of Dolly Morton と題名がたまたま同一であるが、その内容は長谷川検察事務官作成の昭和四二年一一月一六日付報告書によれば相当部分の削除が施されていること、(2) は「証拠の英文書」のうちMarket of Human Flesh と題名を異にしているのみならず、その内容も同事務官作成の同月二七日付報告書によれば、必ずしも同一のものでないことが窺知されるから、原判決の事実認定に何らの消長を来すものではない。論旨は排斥を免がれない。

第三点被告人は本件英文書の内容を閲読していないからわいせつ性の認識がなかつたとの主張について

所論は、本件英文書の内容に関しわいせつ性の認識がなかつたと主張するので検討するに、原判決挙示の各証拠および当審における事実取調の結果を総合すれば、被告人は捜査官に対し私立名教中学二年中退で英語の素養がないから本件英文書にわいせつの個所があつたかどうかわからなかつたと供述しているが、真実は早稲田大学英文科を卒業し英語の読解力は十分であつたこと(原審第七回公判廷において「チヤタレー夫人の恋人」の書物は大学在学中に原書で読んだとさえ供述している。)、さらに、被告人はイエナ精光株式会社支配人大井サダヨからドリー、モルトン(原判示第二の英文書)はエロ本で警視庁で取調べられたことを聞知しながらその原書を多嶋質祐に対し印刷出版することを慫慂し、利得の目的で一、〇〇〇冊を印刷製本させ、そのうち五〇〇冊を同人から代金一〇万円で引取り販売していること、被告人は多数の本件英文書(但し原判示第二の英文書を除く。)を利得の目的で仕入れ販売していること(かかる危険な商取引をするに際し本の内容が分らずしてなすということは常識上到底考えられない。)が認められる。

以上の諸点を含め、本件英文書の仕入販売に際しての関係者の言動に徴すれば、被告人は本件英文書がわいせつの文書であることを知悉していたものであり、被告人が英文の専門家であることを考慮に入れれば、本件英文書の内容に関しわいせつ性の認識がなかつたというのは単なる弁解に過ぎないものといわなければならない。論旨は採用することができない。

所論に鑑み記録を精査検討するも原判決に事実誤認の虞はなく、理由にくいちがいの個所は見当らない。論旨はいずれも理由がない。

検察官の控訴趣意について

所論は、原判決は検察官が被告人に対して罰金五万円を求刑したところ、罰金三万円に処し二年間右刑の執行を猶予したものであるが右刑の量定は軽きに失し不当であると主張する。

よつて検討するに、被告人は昭和三四年五月ころおよび昭和三五年一〇月初めころの二回にわたり内容全般にわたつて露骨詳細な性交、性戯に関する描写記述のある英文書合計四五四冊を所持したものである。

この種いわゆる春本の出版および販売が我国における英語教育普及の現状および多数の外国人が在住ないし居住する実状に照らし我国の性道徳および風紀の紊乱を招来し、かつ、国の対外的信用をも失墜するに至りその影響は決して等閑視し得ないものであること、被告人は本件英文書を営利の目的で所持したものであるが、本件以外のこの種英文書籍を販売して利得を得ていること、被告人は原判示第一の行為をした容疑で検挙され取調を受けているのにかかわらず、原判示第二の犯行を重ねたものであることは、まことに論旨指摘のとおりであつて被告人の刑事責任は軽視できない。

しかし、被告人はこれまで前科歴はなく、原判決が(量刑について)の項において説示するように自ら進んで書籍販売についての宣伝広告をしたわけではなく、その所持にかかる書籍の数量も比較的少数に止まり現実の利得額も多額ではないこと、幸い、英文の書籍であつたため社会的影響力もそれほど大きかつたものとはいえないこと、本件がいずれも七年ないし八年以前の事犯であつて、その後、被告人はこの種犯行による検挙を受けたことはなく、爾来真面目に出版業界で働いていることのほか、被告人の年齢、経歴、生活環境など諸般の情状をもれなく斟酌、勘案すれば、原判決の量刑は軽過ぎて不当であるとは思われない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三九六条により本件各控訴を棄却し、同法第一八一条第一項本文により当審における訴訟費用は被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 関重夫 小川泉 渡辺達夫)

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